に行ってきました。いつもと違い椅子がぎっしり並べられていますが、ガラガラでした。今日は初日だからでしょうか。
白秋によれば、柳河のほうでは「霜月親鸞上人の御正忌となれば七日七夜の法要は寺々の鐘鳴りわたり、朝の御講に詣づるとては、わかい男女夜明まへの街の溝石をからころと踏み鳴らしながら御正忌參らんかん…………の淫らな小歌に浮かれて媾曳の樂しさを佛のまへに祈るのである。」とあり、お祭り騒ぎだったのでしょうか。
エンドウの芽が出始めました。このまま生長してくれるといいですね。
六騎(ロツキユ)
御正忌(ごしようき)參詣(めえ)らんかん、
情人(やね)が髪結うて待つとるばん。
御正忌參詣らんかん、
寺の夜あけの細道に。
鐘が鳴る、鐘が鳴る、
逢うて泣けとの鐘が鳴る。 (北原白秋 思ひ出―抒情小曲集)
宗教を遊樂に結びつけ、遊樂の中に微かに一味の哀感を繼いでゐる。觀世音は永久(とこしへ)にうらわかい街の處女に依て齋(いつ)がれ(各の町に一體づつの觀世音を祭る、物日にはそれぞれある店の一部を借りて開帳し、これに侍づくわかい娘たちは參詣の人にくろ豆を配(くば)り、或は小屋をかけていろいろの催(もよふ)しをする。さうしてこの中の資格は處女に限られ、縁づいたものは籍を除かれ、新らしい妙齡(としごろ)のものが代つて入る。)天火(てんび)のふる祭の晩の神前に幾つとなくかかぐる牡丹の唐獅子(からしし)の大提燈は、またわかい六騎(ロツキユ)の逞ましい日に燒けた腕(かひな)に献げられ、霜月親鸞上人の御正忌となれば七日七夜の法要は寺々の鐘鳴りわたり、朝の御講に詣(まう)づるとては、わかい男女(をとこをんな)夜明まへの街の溝石をからころと踏み鳴らしながら御正忌參(めえ)らんかん…………の淫らな小歌に浮かれて媾曳(あひゞき)の樂しさを佛のまへに祈るのである。 (北原白秋 思ひ出―抒情小曲集 わが生ひたち3)