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2019/10/17

キンモクセイ

キンモクセイ10-17
の香りが漂っています。ハナミズキも紅葉しています。一気に涼しくなりました。からだがついていけません。
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2019/10/16

快晴

丹波行き10-16
のいい天気です。田んぼを見てきました。台風の影響は無さそうでした。今のところシカとかイノシシの被害はありませんでした。枝豆を3株収穫してきました。
2019/10/15

ヒガンバナ

ヒガンバナ10-15
の葉が出ていました。葉と花は同時には見られません。”ハミズハナミズ”なんて呼ぶところもあるようです。
2019/10/14

ヒガンバナ

ヒガンバナ10-14
が咲いていました。世間の中での自分の居場所、死んだ後どこを居場所にするのかといった、居場所についての話しがありました。

小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき (正像末和讃)
南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せり  (正像末和讃)
としごろ念仏して往生をねがうしるしには、もとあしかりしわがこころをもおもいかえして、ともの同朋にもねんごろのこころのおわしましあわばこそ、世をいとうしるしにてもそうらわめとこそ、おぼえそうらえ。 親鸞聖人御消息集(広本)
2019/10/12

台風

のため家でごろごろしていました。進路から外れているとはいえ、暴風域が広いのです。出かけようと思えば出かけられそうですが、聞法会は中止になっています。上陸前からこれほどまで騒がれるのも珍しいです。屋根が飛ばされるほどの風に対する対策はどうすればいいのでしょう。
2019/10/11

色の違う

花アサガオ?10-11
アサガオらしき花が咲いています。名前は何というのでしょう。
 劇を観てきました。一つのテーマにまつわる色々なシーンが演じられました。出演者が生き生きされていたのが印象的でした。
2019/10/10

雄花

クリa10-10
の残ったままのクリがありました。陰干ししたクリが弾けだしたので、イガを取りました。未熟な鬼皮は柔らかく剥きやすいです。
2019/10/09

キクイモ

キクイモ栗10-9
の花が咲いていました。秋晴れの気持ちのいい天気です。
 昨日クリを採りました。イガから実の取れるものははずし、鬼皮を取りました。未熟なものは2,3日置いてから取り出そうと思っています。落ちるのを待てばいいのでしょうが、たびたび行くことも無いので、行ったときに欲をかいて、採れるだけ採ってきました。未熟なものでも食べられるでしょう。それにしてもここのクリは美味しいです。
 ニワトリ症候群なんて話しを初めて聞きました。
2019/10/08

田んぼ

丹波ブログ10-8
のネット張りをしてきました。合併で農協も統合されたのでしょうか、今まで近くの農協で売っていたネットがありません。遠くまで買いに行くはめになりました。
 自己満足に過ぎないかもしれませんが、田の周囲に張ることが出来ました。そのとき邪魔になった黒豆を3株、枝豆用に収穫しました。
2019/10/07

自力の善人

愛宕東本願10-7
の話しがありました。自分で自分をあてにし、自分を善き者として生きる危うさについは、中島みゆきのNobody is Right に歌われているようです。

『Nobody is Right』 作詞・作曲:中島みゆき
Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right

もしもわたしが全て正しくて とても正しくて周りを見れば
世にある限り全てのものは わたし以外は間違いばかり
もしもあなたが全て正しくて とても正しくて周りを見れば
世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり

辛いだろうねその一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は 軽蔑しか抱けない
正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ

Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right 正しさは
Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right 道具じゃない


悪い人などいないだなんて あいにくですが頷けません
正しい人こそいないんじゃないか 完璧正しいってどういう人だ
争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか

辛いだろうねその一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は 軽蔑しか抱けない
正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ

Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right 正しさは
Nobody is Right Nobody is Right Nobody is Right 道具じゃない
2019/10/06

ヒガンバナ

東本願寺10-6
はほぼ終わっていました。”悪人とは善人を自覚した人のこと”について、”善人の悲しみを知るものを悪人という”といった話しがありました。これならわかると思ったのですが、よく考えると人間に善人の悲しみなど知られるのでしょうか。

自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。 (一念多念文意)
2019/10/05

御陵さん

桃山御陵10-5
の階段を登りましたが、めちゃくちゃに汗をかくということも無くなりました。だいぶ過ごしやすくなってきました。
 今日は地獄の話しを聞いてきました。
2019/10/04

アサガオ

アサガオ10-4
が咲き誇っています。やっと涼しくなってきました。といっても朝晩だけですけれど。
 聴聞してきました。源信僧都の話しです。”往生要集”を普通に読めば聖道の教えにみられるが、”極重悪人唯称仏”などをとおして他力の教えと読み通していった、というような話しでした。そういえば成就文にある回向を如来の回向として、読まれていくことがありました。
2019/10/03

演劇

受付10-3
を観てきました。初めての場所で探すのに一苦労しました。前もって地図は見ていたのですが、暗くてビルの名前をうまく探せなかったからです。
 不条理劇といわれる中で、わたしがそこに巻き込まれないということもあるのでしょう、笑いに包まれる場面が多々ありました。考えればいろいろあるのでしょうが、そこは深く考えないでおきます。
 今日も聴聞してきました。いろいろ話しはされたのですが、核心部分を一度読まれただけで、はいわかりましたとはなりません。いのちの私有化についての問題を話されていたのでしょう。
2019/10/02

ゆうれい

彼岸花10-2
は白が似合う、そんな感じのヒガンバナです。
”「この世に無駄ないのち、無意味な人生など1つもない」、「新たな役割に目覚めよ」との本願からの喚びかけ”といった話しがありました。

「ヒナは自己中心に孤立した卵の殻を破って出て、光と大気の自由を勝ち取り、鳥の生を成就する。殻は、外にどんな広い世界があるかを見えなくしている。その中はどんなに快くても、それは一撃を加えて打ち破らなければならない」(R・タゴール 生の実現)

「私が人生に何をまだ期待できるのか」と問うのではなく、「人生は私に何を期待しているのか」いう問いをこそ問わなければならないのだ。(フランクル)

 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし(高僧和讃)
2019/09/30

アサガオ

彼岸花ほか9-30
の花が復活したようです。ハスは葉も枯れ始めています。ヒガンバナは今盛りです。
 苦しみを生む三つのキーワードなる話しを聞いてきました。その三つは貧、病、争ということでした。わたしは法を求めはするが、法に生きることはしていません。他人事で聞いているので、お気楽と言われても仕方ありません。
2019/09/29

彼岸花

彼岸花9-29
咲いていました。場所により咲く時期がずれています。
 聖徳太子の話しを聞いてきました。

 聖徳太子廟窟偈
  大慈大悲本誓願 愍念衆生如一子
  是故方便従西方 誕生片州興正法
  我身救世観世音 定慧契女大勢至
  生育我身大悲母 西方教主弥陀尊
  真如真実本一体 一体現三同一身
  片域化縁亦巳盡 還帰西方我浄土
  為度末世諸有情 父母所生血肉身
  遺留勝地此廟窟 三骨一廟三尊位
  過去七仏法輪處 大乗相応功徳地
  一度参詣離悪趣 決定往生極楽界
2019/09/28

キンモクセイ

金木犀朝顔9-27
の花が咲いていました。もうそんな時期なのですね。小さな花ですが、アサガオと思われる花が咲いています。色が微妙に違っています。
 聴聞していると、信前信後という言葉が気になります。御文にも信心の行者とか信心を獲得せしめたるひとといった言葉が出てきます。信前信後は誰が決めるのでしょうか。時々自分は信心を得たとばかりに上から目線でしゃべる人に出会うことがあります。仏法を利用しているのでしょうか。
 「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」(歎異抄)に尽きるのだろうと思います。そして仏願の生起本末を知ることにより、自分自身を深く見つめることが出来るのでしょう。
2019/09/26

お米9-26
が実り始めています。黒米、トヨサト、緑米、赤米、香り米と今まで育てていたお米が残っていたのは嬉しいです。赤米の芒は白くなり変質しています。
 周りの田んぼでは既に収穫は終わっています。今年はシカ、イノシシの被害に遇わないようにと、ネットを張りましたが、足りませんでした。ネットを張ったからといって被害に遭わない保証は無いのですが、出来るだけ早くネット張りに行こうとは思っています。
2019/09/25

青空

大阪城9-25
がきれいです。帰りに人身事故で電車が止まっていました。持っていた切符では振り替え輸送には使えませんでした。結局倍もする切符を買うはめになりました。
 聴聞には間に合いました。

それ、五劫思惟の本願というも、兆載永劫の修行というも、ただ我等一切衆生をあながちにたすけ給わんがための方便に、阿弥陀如来御身労ありて、南無阿弥陀仏という本願をたてましまして、まよいの衆生の、一念に阿弥陀仏をたのみまいらせて、もろもろの雑行をすてて、一向一心に弥陀をたのまん衆生をたすけずんば、われ正覚とらじとちかい給いて、南無阿弥陀仏となりまします。これすなわち我等がやすく極楽に往生すべきいわれなりとしるべし。(御文・五-8)
2019/09/24

彼岸花

彼岸花9-24
の散り方が悲しい。ただ枯れていくのみです。幽霊を思い起こされます。雌しべ、雄しべが垂れ、恨めしげです。足が繋がっているのが救いでしょうか。
2019/09/23

お彼岸

彼岸花9-23
には彼岸花が似合うということで、彼岸花の写真が続きます。アサガオも花数が増えています。時の経つ速さに驚いています。
2019/09/22

蟪蛄春秋を識らず

イネ彼岸花9-22
の話しがありました。普通は自分の経験や体験したことしか本当だと思わない。しかし、如来の眼で見られた世界があることを知らせるというのです。即ち、春秋はもちろんのこと、自分が生きている季節が夏であることさえ知らないままに、一心に鳴く蟪蛄に倣ってただ念仏を称えなさいとのことでした。仏願の生起本末、十念など知らないままでも、まずは念仏することが大切なようです。
 コーラスの練習がありました。四小節くらいを何回も繰り返すやり方に、ただ驚くばかりです。本当に声を合わせるというのは、こういうことなんだなぁとは思いながらも、そこまでしなくてもという思いが出てきます。
 彼岸花、バケツ稲の写真ばかりですが、載せておきます。

『経』に「十念」と言うは、業事成弁を明かすならくのみと。必ずしも須らく頭数を知るべからざるなり。蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや、と言うがごとし。知る者これを言うならくのみと。 (教行信証・信 275頁)
2019/09/21

本願力にあいぬれば

彼岸花9-21
むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし(高僧和讃)
の話しがありました。私は”むなしくすぐる”の意味がわからないでいました。むなしいとは何がむなしいのでしょうか。何かに夢中になっているときは充実感もあり、喜びもありますが、終われば空虚になる。それ故、また何かを求め続けるということになるのでしょう。そしてその行き着くところは「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」(豊臣秀吉)なのでしょう。それが”むなしい”と仏に言い当てられたことと理解しました。
 その”むなしい”実態は”還来生死輪転家”であり、それは何故そうなるのか、それを抜け出すとはどういうことか、それは如何にして実現するのかについて、”決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入”(正信偈)と言われているのでしょう。
 彼岸花が咲いていました。バケツ稲もそれなりに育っています。
2019/09/20

朝晩

鴨川9-20
は涼しくなりました。久しぶりに河原を歩きましたが、昼間はさすがに暑いです。空には変わった雲が出ていました。ギンヤンマが飛び石に留まっていました。彼岸花、ススキに季節が感じられます。
2019/09/19

長屋

長屋御華束9-19
がありました。場所は違いますが、小学校にあがる前に住んでいた記憶のある長屋にそっくりです。まだこんな建物があるのかとびっくりさせられます。
 そろそろお彼岸です。御華束が用意されていました。これだけ積み上げるのは大変な感じがします。
 今日の話しで、観音信仰が流行る原因がわかったような気もします。
2019/09/18

白い芒

バケツ稲朗読寺9-18
の赤米の受粉が行われています。田んぼの稲はどうなっているのでしょう。一ヶ月もほったらかしです。
 絵本を読む会がありました。皆の前に絵本をひろげて見せながら読むのですが、これがなかなか難しいです。また絵の持つ雰囲気に合わせて読むのも難しいです。いい勉強にはなりました。私は安房直子の”やさしいたんぽぽ”を読みました。
 お寺には新しい掲示がありました。意味がわからずにいます。
2019/09/17

白い芒

御陵彼岸花ほか9-17
ではありますが、赤米です。風が爽やかに感じられます。
 十八願のお心を聞いてきました。”ただ念仏”といいましても、受け取りはさまざまです。法然上人から聖覚法印、親鸞聖人を通して、仏からの呼びかけ(行 十七願)に頷く、目覚め(信 十八願)として明らかにされてきたようです。
2019/09/16

彼岸花

彼岸花9-16
が咲き始めています。蓮華の五徳、合掌の意味などを聞いてきました。

蓮華の五徳(れんげのごとく)
1 淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)
2 一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)
3 花果同時の徳(かかどうじのとく)
4 一花多果の徳(いっかたかのとく)
5 中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)

合掌の意味
「右ほとけ 左われぞと 合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」
「右仏 左衆生と拝む手の 中ぞゆかしき 南無の一声」
2019/09/15

聴聞

バケツ苗9-15
してきました。何故眠くなるのか、わかった感じです。わたしは他化天の大魔王であることに目覚め続けていく道、自分を中心とする分別心から解放されていく道の話しなど聞きたくはないのです。
 バケツ稲の出穂が続いています。緑米が見られません。

 南無阿弥陀仏をとなうれば 他化天の大魔王 釈迦牟尼仏のみまえにて まもらんとこそちかいしか (浄土和讃)
 解脱の光輪きわもなし 光触かぶるものはみな 有無をはなるとのべたまう 平等覚に帰命せよ  (浄土和讃)
2019/09/14

香り米

稲千鳥亭9-14
の受粉が行われています。これで黒米、赤米、香り米と出穂しています。トヨサト、緑米が出てくれば今まで作っていたものが無くならないですみます。
 落語の発表会を観てきました。いろいろ出し物があって面白かったです。ただ会話しているようには見えない人もありましたが、それなりに伝わってはきました。
2019/09/13

中秋の名月

中秋の名月9-13
ということですが、カメラがカメラですのでうまく撮れません。 曇っていたので何かそれらしくは写っています。
 劇を観てきました。無料ということでしたので行きましたが、啓蒙劇ではありました。
 アサガオが咲いていました。ずいぶんと小振りです。地力が小さいのでしょう。
2019/09/12

何年も

天空農園9-12
未使用だったビルが営業している感じです。たまに出てくるとその変化に驚かされます。伊丹に行くのでしょうか、飛行機が大きく見えます。
 天空の農園には稲が実っていました。暑い中、何か追い立てられるように登ってきました。風が気持ちよかったです。
観覧車は止まっているように見えたのですが、ちょっと休んでいるときに見ていたら動いていました。
2019/09/11

アサガオ

アサガオ鴨9-12
が咲き始めたようです。川沿いを久しぶりに歩きました。カモが泳いでいました。
2019/09/10

赤米の頴

赤米雄しべ9-10
が開き雄しべが出ています。雌しべはどこにあるのかよくわかりません。受粉が終わると頴は閉じ、結実の営みにはいります。以前に出穂していたのは黒米でした。これからトヨサト、緑米の出穂が見られるでしょう。
 今日も暑い日でした。家でごろごろしているより、聴聞で涼しく快適に過ごすことを選びました。大経の三毒段瞋恚についての話しがありました。耳に入ってきません。涼しいところでの居眠りは気持ちいいものです。

 世間の人民、父子・兄弟・夫婦・室家・中外の親属、当に相敬愛して相憎嫉することなかるべし。有無相通じて貪惜を得ることなかれ。言色常に和して相違戻することなかれ。ある時には心に諍いて恚怒するところあり。今世の恨みの意、微し相憎嫉すれば、後世には転た劇しく大怨と成るに至る。所以は何んとなれば、世間の事かわるがわる相患害す。すなわちの時に急やかに相破すべからずといえども、然も毒を含み怒りを畜え憤りを精進に結びて、自然に剋識して相離るることを得ず、みな当に対生してかわるがわる相報復すべし。人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り趣く。身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし。善悪変化して殃福処異なり、宿予、厳待して当に独り趣入すべし。遠く他所に到りぬれば、能く見る者なし。善悪自然にして行を追うて生ずるところなり。 (仏説無量寿経巻下)
2019/09/09

意味不明

愛宕赤米9-9
の掲示がありました。字面だけでは何を言っているのかわかりません。善人の自覚が何故悪人なんでしょうか。だいたい善人を自覚するとはどういうことなのでしょう。善人意識で生きているのが普通でしょう。改めて善人を確認するのでしょうか。
 赤米の穂が増えています。
 今日は彼岸花の話しを聞いてきました。とは言いましても、大半は居眠りしていました。
2019/09/08

赤米の穂

ウコン赤米9-8
がきれいです。光によって鮮やかさが違って見えます。
 合唱の練習をしてきました。記号など意識したことはないのですが、cresc. がどこまで続くのかとか、mp、p の関係で強さはどうなるのかといった話しにとまどいます。たまにはこんなことを考えて歌うのもいいのかもしれません。
 白秋の薔薇の詩についての話しがありました。当たり前と思っていたことが、決して当たり前ではない、驚き、感動があります。”人身受け難し、いますでに受く”といった感動なのでしょう。

薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。
薔薇ノ花。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 照リ極マレバ木ヨリコボルル。 光リコボルル。  (北原白秋) 

如来の本願を信じて一念するに、かならず、もとめざるに無上の功徳をえしめ、しらざるに広大の利益をうるなり。(一念多念文意)
2019/09/07

暑い日

御陵愛宕赤米9-7
でした。ちょっと歩いただけで、汗びっしょりです。ここに来るのも久しぶりでした。白い花が咲いていますが、名前は知りません。気になったので撮っておきました。赤米が出穂していました。
 午後からは聴聞です。妙好人の話しがありました。ここのところが難しいところです。

「おがんで たすけてもらうじゃない おがまれてくださる如来さまに たすけられて まいること こちらから おもうて たすけてもらうことじゃない むこうからおもわれて おもいとられること この善太郎」 (有福の善太郎)
「わたしゃ(私は)あなた(阿弥陀さま)におがまれて どうぞたすかってくれとおがまれて ご恩うれしや なもあみだぶつ」 (浅原才市)
2019/09/06

高僧和讃

ウコン東9-6
の話しを聞いてきました。天台宗は延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し、993年に二分された話しを聞きました。源信僧都はこの年には52歳、このような時代を生きていたのですね。

 源信和尚ののたまわく われこれ故仏とあらわれて 化縁すでにつきぬれば 本土にかえるとしめしけり
 本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに 念仏一門ひらきてぞ 濁世末代おしえける (高僧和讃)