2017/11/23

稲刈り

稲11-23
をしました。草に負けているところの稲は成長もよくありません。しかし隣との差があまりにも違っているところがあります。この理由はどのようなことでしょうか。
 草取りをもっとこまめにすればよかったのにとは、毎年思うことではありますが、暑さの前にはひるんでしまいます。
 今日は時雨れたりして寒い日でした。
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2017/11/22

正信偈の譜

東本願寺11-22
には色々あるようです。区切というのを聞きました。黙って聞いているのもつまらないので、適当に声を出してきました。和讃はかつて総会所で読んでいた感じでしたので、あ~あ~適当に声を出していました。
 それにしても人が少ない感じです。法話のときにはほんとまだらでしたが、それでもいつもに比べればずうっと多いのが救いでしょうか。多ければいいというわけでもないのですが、少ないのは寂しいです。
 本のセールを見てきました。新しい本は入っていませんでした。明日は大勢の人が来るでしょうから、新しく本は入るのでしょうか。天気が良ければ別のところに出かけます。結果論ですが、今日行っておけばよかった感じです。
2017/11/21

家庭菜園

家庭菜園11-21
の今です。今日はエンドウの種下ろしをしました。大根はまだ芽が出たばかりです。白菜はそれなりに大きくなっています。タマネギは50本移植したのですが、30数本になっていました。ニンジンも芽は出ていますが、間引きできないでいます。
 報恩講が始まりました。本のセールに行きました。少し出遅れ感がありましたが、それなりに入手することは出来ました。まだ買いたいものもありましたが、懐と相談の上5冊にしぼりました。買ってしまうと、置いておくだけで読まないことが多いのが、難というところでしょうか。
2017/11/20

泉涌寺

智積院11-20
に行こうとバスを待っていたのですが、寒いこともあり、次のバス停から乗ろうと歩いたのはいいのですが、バス停に着く前にバスが通り過ぎていきました。時刻表とずいぶん違っています。そんなこともあり結局は歩くことになりました。即成院で犬を撮っていちおうの目的は果たしました。
2017/11/19

餓鬼草子

餓鬼東本願11-19
のこんな絵を見せられるとびっくりします。墓は中世から近世になるとかたちが変わるようです。それはこの世にいない死者からこの世に留まる死者に、見方が変わることによるのだそうです。
 死んだらわたしは何処にいるのでしょうか。墓はありませんので、それこそ”草葉の陰”で身をひそめているのでしょうか。 ”臨終の一念の夕べ、大般涅槃を超証す”といきたいものです。
2017/11/18

女犯偈から行者宿報偈へ

 今日はすごい話しを聞きました。恵信尼が覚信尼に偈文を送り、持ち続けるよう伝える。六角堂参籠とそれに続く法然の許に通う百か日の意味。仏光寺に残る六角夢告の伝絵。犯-被犯の関係。など興味は尽きません。

行者宿報設女犯 我成玉女身被犯
一生之間能荘厳 臨終引導生極楽
2017/11/17

クスノキ

ハゼ楠11-17
の葉が刈り取られ、すっかり冬対応になっています。常緑樹で本来、葉はまだ茂っているのです。ナンキンハゼが紅葉しています。寒くなりました。私の方はまだ冬対応できていません。
2017/11/16

スズラン

鈴蘭東本願11-16
の実が赤くなっています。葉も枯れ始めています。地上部はこのまま枯れ果てていくのでしょう。地下茎は生き残り、来年新しく芽を出し成長していくのでしょう。

 大悲についての話しがありました。 悲は非ずの心、非ずは否定。私たちに”お前たちのしていることは、それで正しいと思っているかしらぬが、まちがっているんだよ。”と、見放さずに呼びかけられているのが、如来の大悲心とのことです。
大悲無倦常照我 (大悲ものうきことなく、常に我を照したまう)
 また、こんな話しもありました。 ”我、今、帰するところ無く、孤独にして同伴無し。
2017/11/15

里の秋

里の秋田圃11-15
 今年も変わらずの景色です。二ヶ月半ぶりに田んぼにやって来ました。どうなっているのかと心配でしたが、いつもの景色に安心しました。
2017/11/14

来年の干支

狛犬11-14
ということで、雨の中、狛犬を撮ってきました。やはり晴れていた方がよく撮れそうです。気がついたときに、また撮っておこうと思います。
 ヨーガをしてきました。雨ということもあるのでしょうか、参加者が少なく、個人レッスンを受けているようでした。隣を気にせず、のびのびと出来ました。
2017/11/13

サルスベリの今

サルスベリ11-13
紅葉した葉がまだ少し残っていました。種子も沢山着いています。よく通る道の街路樹も色とりどりに紅葉しています。
 一週間があっという間に巡ってきます。何か疲れが貯まったままです。何をしてるというわけわけでもないのですが・・・・・。
2017/11/12

仰せが仏法

天空農園11-12
”聞いた心に用事無し”
何かすごいことを聞いた感じです。私の領解など用は無いと言うのです。私は聞いて理解しようと一生懸命なのです。いっぱい取り込むのですが、所詮は私の納得できるものだけなのです。 ”乃至十念 若不生者 不取正覚”のこころなど私には理解できようがありません。 ”仰せが仏法”なんです。
 今回は天空の農園に寄る時間がありました。稲にひこばえが出来ていました。”宇宙イモ”なんてのがありました。名前の由来に驚かされます。誰が付けたのでしょう。よっぽどのはったり屋なんでしょう。この農園は昼過ぎには日陰になります。育てるのは大変なんでしょうね。
 格安キップを買ったところに、年賀状が昨年買ったより安く売っていたので、つい買ってしまいました。しかし、何か割り切れないものを感じます。
2017/11/11

大正琴

神泉苑11-11
に合わせ唱歌を歌ってきました。 時間がありましたので近くを散策してきました。
2017/11/10

紅葉

鴨川紅葉11-10
が進んでいます。イチョウは老木ということもあるのでしょうか、枝毎に黄葉が異なっています。
2017/11/08

雨にむせぶ

大阪城11-8
といった景色です。紅葉も何か暗いものになっています。このような感じもありと言えるでしょう。
 今日は「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」の話しを聞いてきました。
 星野富弘氏の「動ける人が 動かないでいるのには 忍耐が必要だ  私のように動けなものが 動けないでいるのに 忍耐など必要だろうか  そう気づいた時 私の体をギリギリに縛りつけていた 忍耐という棘のはえた縄が ”フッ”と解けたような気がした」の詩を通して、”頷いたとき、世界が変わった”といった話しがありました。
 井村和清氏の”飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ”の話しもありましたが、すっかりぬけています。
2017/11/07

黒豆

菜園西本願2017-11-7
がほとんど実っていません。枝豆を採ろうと様子を見たときに気付きました。外目にはよく育っている感じだったのです。結局、切り取り、その後に白菜を移植しておきました。
 聴聞してきました。聴はきく、ゆるされて聞く、聞はきこえる、信じて聞くといった話しがありました。
 イチョウがところどころ黄葉しています。菊の花が展示されていました。
2017/11/06

サルスベリ

サルスベリ紅葉11-6
が紅葉していました。幹に名札が無かったら、サルスベリとはわからなかったかもしれません。こんなに紅葉しているのは初めて見たのではないでしょうか。一瞬の気づき、南無阿弥陀仏。ただ、念仏です。手段の念仏ではありません。しかし、すぐ比較してしまいます。サクラも遠目に見たときには、綺麗だったのです。
2017/11/05

妙なる畑

妙なる畑11-5
の見学会に参加してきました。山辺の道を歩いて、見学地に行く予定でしたが、電車の接続が悪かったりで時間が無く、見知らぬ道を適当に歩いていきました。
 田んぼにはまだ水が張られていました。お米作りの原点を見させていただき、少しやる気をもらった感じではあります。
2017/11/04

ニッケイ

ヨーガ11-4
と思われる花が咲いていました。しかし、ニッケイの花は5月頃に咲くといいますから、さて何の花でしょう。

聞法の姿勢
 「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、低下の最澄」、「予が如き頑魯の者」(恵心僧都)、「愚痴の法然房」、「十悪の法然房」、「愚禿親鸞」

 「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」
 「唯はただのこと一つをいう。二つ並べることを嫌う語なり」
 わが身、わが心はたのまない。
2017/11/02

天空の農園

大阪11-2
まで行こうとは思いましたが、時間が無く、こんなところを写してきました。
 何かまとまりのない質問をしてきましたが、しっかり答えていただき、何を質問したかったのかもはっきりしました。ありがとうございました。
2017/11/01

ジャスミン

家庭菜園11-1
を移植しました。今年5月に花が咲いたのですが、畑に置いておくには管理が大変です。庭なら放っておいても邪魔にならないでしょう。根がこんなにも張っているとは思いませんでした。
 カボチャが大きくなっていましたので収穫しました。3、4年前の種子ですが、ひとつだけ芽が出て大きくなったようです。10年前に東北で行われた妙なる畑の会の時に頂いた種子から育ててきたものです。それがこの3、4年育たなくなっていて、種子を採取出来なくなっていたのです。
 並木が冬姿になっていました。綺麗な紅葉を見ることは出来ません。人間の都合なんですね。
2017/10/31

天気

桃山御陵10-31
が良かったので、その辺を散歩してきました。
2017/10/30

木枯らし1号

右京紅葉10-30
ということで、寒い風が昼頃に吹き荒れていました。紅葉も一度に進んだのでしょうか。けっこう色付いています。
 往生とはどのようなことでしょう。”往生は心にあり”といった話しを聞いてきました。

「死後観から死観へ」(池田勇諦 暁宇会)の内容と関係するのでしょうか。
 16頁 「”臨終一念の夕、大般涅槃を超証す”ということは、死が私にとっては大般涅槃を超証する時であります。」
 19頁 「信心獲得ということは、現在ただいま、往生の生活を賜ることでしょう。毎日毎日が往生の生活、その往生の歩みの極まりが”臨終一念の夕、大般涅槃を超証す”。」

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”即得往生 住不退転”(大経十八願成就文)

”即得往生は、信心をうればすなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。不退転に住すというは、すなわち正定聚のくらいにさだまるとのたまう御みのりなり。これを即得往生とはもうすなり”(唯信鈔文意)

”本願を信受するは、前念命終なり。[「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文] 即得往生は、後念即生なり。[「即の時必定に入る」(易行品 一六)と。文 また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。文]” (愚禿鈔)

”しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。”(教行信証・証)

”臨終一念の夕、大般涅槃を超証す”(教行信証・信)
2017/10/29

沈黙

沈黙交流10-29
を見てきました。救いとは、信仰とは、何だろうかと考えさせられます。個人、組織ではその持つ意味が変わるでしょう。 組織を守るためには、権力と妥協せざるを得ないこともあるでしょう。また、転ばずに殺されていくのと、転んで生き残っていくのと、どのように考えたらいいのかわかりません。まあ、そんな社会にしないことでしょう。
 聴聞してきました。台風の影響でしょうか、参加者はわずかでした。”往生の素懐を遂げて、不退の楽土に到る”なんて言葉を聞きました。”往生の素懐”という言葉があるのですね。
2017/10/28

フジバカマ

フジバカマ10-28
が咲き誇っていました。
 台風の接近で雨が降り続くなか、聴聞してきました。教えがすでにあり、その教えがわたしにまで届いた感動といったものでしょうか。仏の教えを依り処とした生活が始まり、自己に出遇っていくのでしょう。

往生と言うは、『大経』には「皆受自然虚無之身無極之体」と言えり。已上 『論』には「如来浄華衆正覚華化生」と曰えり。または「同一念仏して無別の道故」(論註)と云えり。已上 また「難思議往生」(法事讃)と云える、これなり。 聖典323-324
2017/10/26

念佛の救い

を聞いてきました。ただ念仏なんです。得心するとかしないとか、関係ないんですよ。わたしの考えに間違いはないと思っているからです。そこからなかなか離れられません。
 久しぶりにいろんな話しが出来て楽しかったです。
2017/10/24

今日は

家に籠もって、録音した話しを聞いていました。しかし、動かないでいると、食べ過ぎているのかもしれませんが、胸やけがして胃がもたれる感じがします。
 それはそれとして、”信の一念”の話しがありました。
”一念”というは、信心をうるときのきわまりをあらわすことばなり。聖典535頁
”乃至”と言うは、上下を兼ぬるなり、中を略するの言なり。聖典404頁
”この一念、臨終までとおりて往生するなり”と、おおせそうろうなり。聖典854頁

ということで、信の一念は心の持ちようではなく、時の成就をいうとのことです。また、乃至は”から”ということで、目覚めさせられたとき”から”、死ぬまで、とのことでした。

”聴聞を続けてゆけばみほとけに 遇えると思うことは妄念” 藤原正遠

我らにとりては、信の一念のほかに如来はないのである。

帰命の義もまたかくのごとし。しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて、「わがいのち」とおもひたらんをり、善知識「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、「わがいのちすなはち無量寿なり」と信ずるなり。 聖典959頁
2017/10/23

暖房

が入っていました。台風一過、世の中は変わりませんが、天気は一変しました。ちょっと前までの暑さが嘘のようです。
 「仏法には、明日と云う事はあるまじき」由の仰せに候う。(蓮如上人御一代記聞書155)
ということを聞きましても、今を生きるということにはなりません。何をしているのでしょう。
2017/10/22

聞法

してきました。 ”湯豆腐の譬え”が面白かったです。
2017/10/21

猫と村正

(小酒井不木)の朗読を聞いてきました。何とも不思議な話しです。度重なる不幸が続くと、それらが関連性を持ってきて、何かの祟りとして納得しようとする感情がでてくるのでしょうか。第三者的に聞いていますと、一つ一つの話しは完結しています。しかし、当事者にしてみれば、それらの出来事は関連してきます。”不幸や災難はみんな先妻の亡霊の祟りだった”と見てしまうのです。宗教的に見れば、無明と呼ばれる内容なのでしょう。
2017/10/20

ケール

ケール10-20
の苗を一株購入しました。サラダ専用ということで、値段も予想外に高いです。青汁用は沢山あるのですが、青汁を作るのが面倒になりました。ホームセンターで見つけ、試しに植えることにしました。種子に期待しますが、交配種であれば種子が出来ても、同じものは期待薄でしょう。
2017/10/19

キンモクセイ

キンモクセイ10-19
の花が散ってきています。もうこの香りともお別れです。

聞法して、わが心を改めようとする人が多いようです。一念は心の問題とは違うようです。
「心中をあらためんとまでは、思う人あれども、信をとらんと、思う人はなきなり」 蓮如上人御一代記聞書一七五条

2017/10/18

干し柿

柿菜園10-18
を作りました。皮を剥いて干しておくだけですが、今回は外に出したままにしておきます。さてどうなるのでしょう。ネットを見て、柚子胡椒を作ろうと唐辛子も購入したのですが、使いそうにもないので止めました。
 畑の手入れをしました。これから出来ることもないでしょうから、カボチャも片付けました。タマネギ、白菜の苗を購入し、移植しました。ゴーヤもこれが最後となりそうです。
2017/10/17

柿と柚子

ゆず柿10-17
の収穫をしました。柿は渋柿ですので、皮を剥いて干し柿にします。久しぶりの干し柿です。柚子はまだ青いですが、このほうがいいのだそうです。
2017/10/16

秋雨

キノコ10-16
が降り続いています。いろいろなところからキノコが出ています。
2017/10/15

十悪五逆、五障三従

なにのやうもなく、ただわが身は十悪・五逆、五障・三従のあさましきものぞとおもひて、ふかく、阿弥陀如来はかかる機をたすけまします御すがたなりとこころえまゐらせて、ふたごころなく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かたじけなくも如来は八万四千の光明を放ちて、その身を摂取したまふなり。これを弥陀如来の念仏の行者を摂取したまふといへるはこのことなり。  御文一帖七通

それ、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、むなしくみな十方三世の諸仏の悲願にもれて、すてはてられたるわれらごときの凡夫なり。しかればここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏として、いまのごときの諸仏にすてられたる末代不善の凡夫、五障・三従の女人をば、弥陀にかぎりてわれひとりたすけんといふ超世の大願をおこして、われら一切衆生を平等にすくはんと誓ひたまひて、無上の誓願をおこして、すでに阿弥陀仏と成りましましけり。この如来をひとすぢにたのみたてまつらずは、末代の凡夫、極楽に往生するみち、ふたつもみつもあるべからざるものなり。   御文二帖八通

そもそも、当流の他力信心のおもむきと申すは、あながちにわが身の罪のふかきにもこころをかけず、ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かかる十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人までも、みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞとふかく信じて、さらに一念も本願を疑ふこころなければ、かたじけなくもその心を如来のよくしろしめして、すでに行者のわろきこころを如来のよき御こころとおなじものになしたまふなり。このいはれをもつて仏心と凡心と一体になるといへるはこのこころなり。 御文二帖十通

それ当流の安心のすがたはいかんぞなれば、まづわが身は十悪・五逆、五障・三従のいたづらものなりとふかくおもひつめて、そのうへにおもふべきやうは、かかるあさましき機を本とたすけたまへる弥陀如来の不思議の本願力なりとふかく信じたてまつりて、すこしも疑心なければ、かならず弥陀は摂取したまふべし。このこころこそ、すなはち他力真実の信心をえたるすがたとはいふべきなり。 御文二帖十五通

さて弥陀如来の超世の大願は、いかなる機の衆生をすくいましますぞともうせば、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人にいたるまでも、みなことごとく、もらさずたすけたまえる大願なり。されば一心一向にわれをたのまん衆生をば、かならず十人あらば十人ながら、極楽に引接せんとのたまえる、他力の大誓願力なり。   御文三帖五通

それ阿弥陀如来は、すでに十悪・五逆の愚人、五障・三従の女人にいたるまで、ことごとくすくひましますといへることをば、いかなる人もよくしりはんべりぬ。 御文三帖七通

しかれば諸仏の本願をくはしくたづぬるに、五障の女人、五逆の悪人をばすくひたまふことかなはずときこえたり。これにつけても阿弥陀如来こそひとり無上殊勝の願をおこして、悪逆の凡夫、五障の女質をば、われたすくべきといふ大願をばおこしたまひけり。ありがたしといふもなほおろかなり。 御文四帖三通

これによりて、いかなる十悪・五逆、五障・三従の女人なりとも、もろもろの雑行をすてて、ひたすら後生たすけたまへとたのまん人をば、たとへば十人もあれ百人もあれ、みなことごとくもらさずたすけたまふべし。   御文五帖八通

まづ機をいへば、十悪・五逆の罪人なりとも、五障・三従の女人なりとも、さらにその罪業の深重にこころをばかくべからず。ただ他力の大信心一つにて、真実の極楽往生をとぐべきものなり。   御文五帖十五通
2017/10/14

聴聞

してきました。何を話しているのだろうと、腹立たしくなってきました。前住職の雑談にしか思われません。そんな話しに付き合わされては、たまったものではありません。せめてこれだけは話しておきたい、というものは無いのだろうかと思わされます。
2017/10/13

演劇公演

を観てきました。かつて、ただ立っているだけで舞台に出ていたことがありますが、こんなに狭い場所だったのかと思わされました。
 知り合いが熱演している姿を見るのは刺激になります。身につまされる話しですが、役に立つ、立たないで人を判断することの問題を、訴えているようにも思われました。何によって老いを生きるのかを考えさせられます。
2017/10/12

時間

天空農園10-12
がありましたので、天空の農園をのぞいてきました。稲はすでに刈られています。珍しい作物もあります。コスモスが綺麗でした。
 ザックを背中でなく、前で担いで歩いていたのですが、だんだん歩けなくなりました。使っている筋肉が違うのでしょうか。こんなことがあるのですね。