2018/07/27

ハーモニー啓 きまぐれコンサート VOL.13

ハーモニー啓2018-7-27
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2018/06/16

黒豆

黒豆下し6-16
の種下ろしをしました。今回は100粒です。その後聴聞してきました。

淤泥華というは『経』(維摩経)に説いて言わく、「高原の陸地に蓮を生ぜず、卑湿淤泥に蓮華を生ず。」これは凡夫、煩悩の泥の中にありて、仏の正覚の華を生ずるに喩うるなり。 入出二門偈頌文

婦夫ノ中ニ申ス事出来候テ腹立候共扱々此心ニテ永ク大悲ノ御胸ヲ焦シ又モ大悲ノ御胸ノイタマシモノヲト早ク回心可仕事 吉田源之助家 家訓 ( 自分はつねに阿弥陀如来からイタマレている存在である。 )
2018/06/15

梅雨空

比叡山6-15
のなか比叡山がはっきりと見られました。泰山木、サボテンの花が咲いています。今日はちょっとしたチョンボをしてしまいました。バスの系統を間違え、とんでもない方向に行ってしまいました。
2018/06/14

田んぼ

サギ6-14
にサギが群がっていました。写真を撮ろうとしたら、奥の方へ逃げられてしまいました。この辺のは人になれていないのでしょうか。
2018/06/13

クチナシ

ハスクチナシ6-13
の花が咲いていました。以前のものに比べ花が大きいです。ハスの蕾はまだ固い感じです。
2018/06/12

ヨーガ

御陵6-12
はからだをリフレッシュさせるのでしょうか。歩きも軽やかになります。
2018/06/11

蒸し暑い

アジサイ6-11
日になりました。アジサイの青さは何か清涼感を与えますが、赤くなるといただけません。暑くなるだけです。
 こんな歌があるのですね。 ”日々 歌 吉田山田” 何かせつなくなります。こんな日々なんでしょうか。  ”渋柿の 渋がそのまま 甘みかな”  ”つらくても おもくても 自分の荷は 自分で背負って 生きさせてもらう (東井義雄)” なんて歌とも繋がります。聞法しなければ知ることもなかったでしょう。
2018/06/10

京都ヨガ

京都ヨガ6-10
に参加してきました。雨がぱらつきはしましたが、影響はありませんでした。マールジャーラ・アーサナ、スーリヤ・ナマスカーラありで、なかなか楽しめました。初めてのことでしたが、どんな音か忘れましたが、二音を発声しての腹式呼吸に興味がわきました。
 音楽の演奏がありました。初めて見る楽器です。
 黒豆の芽が出始めました。5日に種下ろししたものです。
2018/06/09

田植え

田植え6-9
をしてきました。田んぼに水が貯まっていたので、前日の雨の影響かと思ったのですが、違いました。もっと早く気が付けば水を抜くことが出来たのですが・・・。
 苗の生長がいまひとつです。あせらずにいきましょう。
2018/06/08

萩6-8
の花が咲いていました。秋でもないのに、咲くのですね。また、雑草に紛れて生け花に使われるような花がありました。名前はわかりませんが、誰かが植えているのでしょうか。
2018/06/06

聴聞

寺掲示6-6
を2、3日しないと、ずいぶん久しぶりに来たという感じがします。今日の話しはちょっと身にこたえます。それは、善意に立った行為は自分が問われないといったものです。私は正しいとの思いで他を批判します。それがお互いを通じ合えないものにしています。結局、それが無明なのですね。
 お寺には新しい掲示がありました。”これからだ”といった話しをかつて聞いたように思いますが、どんな文脈だったのでしょう。
 今年の米作りについてのページをやっと載せることが出来ました。
 丹波 自然農 2018
2018/06/05

黒豆

黒豆梅6-5
の種下ろしをしました。200粒です。多分昨年より多いと思います。
 梅を収穫しました。700gでした。昨年はもっと多かったと思うのですが、記述がありません。一昨年を見たら、その時は1.4Kgでした。やはり今年は少ないです。
2018/06/04

サンゴジュ

サンゴジュ6-4
の花も終わりに近づいたようです。前日の草刈りでの腰痛がはっきりしてきました。歳のせいでしょうか、痛みが遅れて出てきます。
2018/06/03

サギ

田んぼ6-3
が田植えのされた田んぼに群れていました。
2018/06/02

ヨーガ

ヨーガ大阪6-2
のあと聴聞してきました。愛宕山の眺望がいいです。
2018/06/01

はや六月

比叡山6-1
となりました。いい天気になりました。比叡山が綺麗に見えます。
2018/05/31

キョウチクトウ

夾竹桃5-31
の花が咲いていました。いつもより早い感じです。ネットで見ていたら、花、葉、枝、根、果実などのすべての部分に毒があるようです。枝を箸代わりに使って口にすると大変なことになるようです。
 移動中に雨に降られ、濡れてしまいました。今日も聴聞してきました。面白い話しでした。原典を見る方が間違いないです。

われとして浄土へまいるべしとも、また地獄へゆくべしとも、さだむべからず。故聖人 黒谷源空聖人の御ことばなり の仰せに、「源空があらんところへゆかんとおもわるべし」と、たしかにうけたまわりしうえは、たとい地獄なりとも、故聖人のわたらせたまうところへまいるべしとおもうなり。このたびもし善知識にあいたてまつらずは、われら凡夫かならず地獄におつべし。しかるにいま聖人の御化導にあずかりて、弥陀の本願をきき、摂取不捨のことわりをむねにおさめ、生死のはなれがたきを一定と期すること、さらにわたくしのちからにあらず。たとい、弥陀の仏智に帰して念仏するが地獄の業たるを、いつわりて往生浄土の業因ぞと、聖人さずけたまうにすかされまいらせて、われ地獄におつというとも、更にくやしむおもいあるべからず。そのゆえは明師にあいたてまつらでやみなましかば、決定、悪道へゆくべかりつる身なるがゆえに、となり。しかるに、善知識にすかされたてまつりて悪道へゆかばひとりゆくべからず、師とともにおつべし。さればただ地獄なりというとも故聖人のわたらせたまうところへまいらんと、おもいかためたれば、善悪の生所、わたくしのさだむるところにあらずというなりと。これ自力をすてて他力に帰するすがたなり。 執持鈔 2

神明三か条
この三か条の編目をもってこれを存知せしめて、自今已後、その成敗をいたすべきものなり。
 一 諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
 一 諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
 一 信心をとらしめて報土往生をとぐべき事
 右この三か条のむねをまもりて、ふかく心底にたくわえて、これをもって本とせざらんひとびとにおいては、この当山へ出入を停止すべきものなり。

一 神明ともうすは、それ、仏法において信もなき衆生の、むなしく地獄におちんことを、かなしみおぼしめして、これをなにとしてもすくわんがために、かりに神とあらわれて、いささかなる縁をもって、それをたよりとして、ついに仏法にすすめいれしめんための方便に、神とあらわれたまうなり。しかれば、いまのときの衆生において、弥陀をたのみ信心決定して、念仏をもうし、極楽に往生すべき身となりなば、一切の神明は、かえりてわが本懐とおぼしめして、よろこびたまいて、念仏の行者を守護したまうべきあいだ、とりわき神をあがめねども、ただ弥陀一仏をたのむうちにみなこもれるがゆえに、別してたのまざれども信ずるいわれのあるがゆえなり。
 一 当流のなかにおいて、諸法・諸宗を誹謗することしかるべからず。いずれも釈迦一代の説教なれば、如説に修行せばその益あるべし。さりながら、末代われらごときの在家止住の身は、聖道・諸宗の教におよばねば、それをわがたのまず、信ぜぬばかりなり。
 一 諸仏・菩薩ともうすことは、それ、弥陀如来の分身なれば、十方諸仏のためには、本師本仏なるがゆえに、阿弥陀一仏に帰したてまつれば、すなわち諸仏菩薩に帰するいわれあるがゆえに、阿弥陀一体のうちに諸仏・菩薩はみなことごとくこもれるなり。
 一 ・・・・・・ 祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心ひとつにかぎれり。これをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって真宗のしるしとす。 御文・二
2018/05/30

タイザンボク

東本願寺5-30
がまだ咲いていました。2日前の予報が外れ、5日くらい前の予報が当たるとはどういうことなのでしょう。
 2、3日休んだだけなのですが、何か懐かしい感じがします。 ”人身受け難し”の話し、存覚聖人の話しもありました。


南無阿弥陀仏をもつて正定の業と名づく。「正定の業」といふは、まさしく定まるたねといふこころなり。これすなはち往生のまさしく定まるたねは念仏の一行なりとなり。
念仏の一行はこれ弥陀選択の本願なり、釈尊付属の行なり、諸仏証誠の法なればなり。釈迦・弥陀および十方の諸仏の御こころにしたがひて 念仏を信ぜんひと、かならず往生の大益を得べしといふこと、疑あるべからず。

「即得往生住不退転」といへる本意には、証得往生現生不退の密益を説きあらはすなり。これをもつてわが流の極致とするなり。
「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)といへり。こころは、「弥陀仏の本願を憶念すれば、自然にすなはちのとき必定に入る。ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし」となり。「すなはちのとき」といふは、信心をうるときをさすなり。「必定に入る」といふは、正定聚に住し不退にかなふといふこころなり。 浄土真要鈔
2018/05/29

ポット稲

ポット稲5-29
がそれなりに生長しています。黒米は発芽が悪いです。実が入っていなかったのですね。水洗したときに浮いてくる籾が多かったことが思われます。ポットを置く位置も関係しているのでしょうか、トヨサトの生長が他のに比べて悪いです。6月に入れば田植えも出来るほどに大きくなっているといいですね。そろそろ準備をしなくてはなりません。
 雨が降るものと思っていましたが、予報が外れてきていました。以前に移植したオクラが枯れ始めていましたので、水遣りをしました。ついでにキュウリにも水遣りしておきました。
 今日は何処にも行かずに、演劇の課題を考えていました。家でぶらっとしているのも、たまにはいいですね。
2018/05/28

子ども

公園5-28
が外で遊ぶということが少なくなったのでしょうか。それとも少子化の影響なのでしょうか。公園は草で覆われていました。
 歩行者は右側通行のはずですが、地下道は管理者が決めるのでしょうか。場所によっては右側、左側との貼り紙があり、戸惑ってしまいます。
2018/05/27

観経

観経5-27
の話しにはわくわくします。 ”自己への目覚めのところに、如来の真実の呼びかけを受けとめ、応えてゆく”。 大経は道理を示し、観経はその実践、阿弥陀経は問題を明らかにしているとの話しに引きずられていきます。
 お寺に掲示がありました。我を出し過ぎると煙たがられるのでしょう。
2018/05/25

魚道

魚道5-25
が出来ていました。トビには油断も隙もありません。
2018/05/24

オクラ

菜園5-24
キュウリ、ゴーヤの移植をしました。モロヘイヤとシソは草に紛れて見分けがつきません。ひょっとすると消失しているのかもしれません。
 聴聞してきました。研修でもあったのでしょうか、僧侶の方が大勢いました。勤行も迫力があります。声を気持ちよく出すことが出来ました。しかし、聴とはならず居眠りしていました。
2018/05/23

サルノコシカケ

大阪城5-23
みたいなものがついていました。これから生長するのでしょうか。
 予報通り雨でした。いつもの場所とは違いますが、写真だけは撮っておきました。
2018/05/22

おうい雲よ

雲5-22
 雲を見ると何か呼びかけてみたくなります。山村暮鳥の見ていた雲はどのようなものだったのでしょう。
 実エンドウの収穫をしました。明日は雨ということで、キュウリ、ゴーヤの移植をしようと思ったのですが、天気が良すぎましたので、次の機会にしました。
 今日は”讃佛偈”を称えてきました。親鸞聖人と私たちを結ぶものとして、一、師弟 二、逆境 三、二菩薩観 四、使命感 があるといった話しでしたが、よくわかりませんでした。初めて聞くということもあるのでしょう。
2018/05/21

タイザンボク

東本願寺5-21
の花が咲いていました。今日も聴聞してきました。
 ”泣いた赤おに”の話しが出てきました。かつて読んだことがあります。キーとなる言葉がありました。
 ”なにか、ひとつの、めぼしいことをやりとげるには、きっと、どこかで、いたい思いか、損をしなくちゃならないさ。だれかが、ぎせいに、身がわりに、なるのでなくちゃ、できないさ。” (泣いた赤おに 浜田廣介)
 何かするときに、これくらいの覚悟をもってするでしょうか。自分勝手な行動に迷惑している人がいるのでしょう。
 また、”老いることによって、はじめて気付かされたことを、きちんと表現しておく”といった話しもありました。

 生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。(末燈鈔)
2018/05/20

聞法

東本願寺5-20
はいろいろ興味ある話しが聞けて楽しい。 今日は”西郷隆盛と報徳仕法”とか”武者小路実篤の新しき村”についての話しがありました。しかし日本を動かしたのは結局は”金の力”だったのだと思わされます。
 門徒の組織、力もすごく魅力的です。これも昔は凄い人がいたということで済ましてしまうのも、もったいないものです。さてどうしたらいいのでしょう。
 三浦久 訳の”祈りの歌”の話しもありました。以前にも聞いたように思います。南北戦争の南軍の兵士による詩ということでした。受け継がれてきているのですね。
2018/05/18

ツバメ

鴨川5-18
の巣がありました。写真を撮ろうとしたらバッテリー切れです。こんな思いをしたのは何回になるのでしょう。COOLPIX W100 のバッテリーの記事があるかと思いネットを調べてみましたが、交換用だけでした。写真を撮った後は充電することにしましょう。ちょっと面倒ですが・・・。
 今回はスマホで撮ってみました。以前にも撮ったことはあるのですが、要領がわからずもたもたしました。トベラの花が咲いていました。変わったトベラがありました。ブログに載せる程度ならこのくらいの写真で十分な気がします。
2018/05/17

感動

とはどんなことでしょう。国木田独歩の”牛肉と馬鈴薯” (青空文庫)に一つのヒントがありそうです。こんな会話があります。面白い言い回しです。

「喫驚びっくりしたいというのが僕の願なんです」
「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願です!」
「死の秘密を知りたいという願ではない、死ちょう事実に驚きたいという願です!」

 「おらおらでひとりいぐも」の最初の方を読みました。老いを考えるのにはいいのかもしれません。しかし、”生死出ずべきみち”ということなら、仏教ということになるのでしょうか。月日の経つのは速いものです。ゴミだけが積み上がっていき、処理できないでいます。
2018/05/16

昨日残した

菜園寺掲示5-16
キュウリとゴーヤの移植をしました。合わせて15本くらいですが、この移植作業に汗びっしょりです。今年の夏を乗り切ることが出来るのでしょうか。
 久しぶりで正信偈を称えてきました。何か落ち着きます。お寺には新しい掲示がありました。
 今の競争社会を自己責任で向かっていくことを余儀なくされている人にとって、自分が愛しいと思えることがあるのだろうかと考えさせられてしまいます。 そこには、救われざる者との事実に頭が下がり、その私に願いがかけられていたとの目覚めがあるのではないでしょうか。

第一の深信は「決定して自身を深信する、」すなわちこれ自利の信心なり。
第二の深信は「決定してかの願力に乗じて深信する、」すなわちこれ利他の信海なり。   愚禿鈔
2018/05/15

キュウリ

御陵菜園5-15
の移植をしようと畑の草取りをしたのですが、暑くてちょつとで嫌になりました。あわてることはないので後日やることにしました。
 こんなときはヨーガで気分転換するに限ります。ちょっときつめでしたが、楽になりました。
 ポット稲は順調に育っているようです。ただ黒米の発芽はまだらで不揃いなのが心配です。
2018/05/14

木幡池5-14
が生えてきました。2年目の始まりです。
2018/05/12

小麦

天空農園5-12
が実ってきています。
 他力回向の信心とは何でしょう。私が判断するものではないのでしょう。
2018/05/11

クスノキ

鴨川5-11
センダンの花が咲いていました。天気がいいので鴨川を歩いてきました。
2018/05/10

信心

東本願寺5-10
を理解しようとすると、混乱するばかりです。

南無 阿弥陀仏  私への呼びかけ  私に対する誓い   汝、一心正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん

信じて救われるのではない、信心が救い。信じられる身になった。  無義をもって義とす

釈迦弥陀は慈悲の父母 種種に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり  高僧和讃

彰信心為能入   信心を彰して能入とす 教行信証・化身土

信心開発即獲忍  信心開発すればすなわち忍を獲   浄土文類聚鈔 
2018/05/09

如来よりたまわりたる信心

東本願蓮如5-9
の話しを聞きました。いただく信心の本質を親鸞聖人が法然上人から聞き出した画期的な出来事といった話しに感動します。”たる”は過去のことではなく、現在ただ今のことを表すとのことでした。
 帰りに蓮如上人御影道中に出会い、御帰山式を見てきました。
2018/05/08

ポット稲

ポット稲5-8
の芽が出てきました。鳥対策にポットを載せておいたのですが、成長の邪魔になりそうですので取り払い、ネットに変えました。
 サツマイモの苗が売っていました。ちょっと高めでしたが、6月中頃までにツルが伸びれば2、3本に増やせるのではと思い買ってしまいました。
 手帳のスピンが来週のところに挿んでありました。そのため行動が狂ってしまいました。日にちもチェックしないといけませんね。
2018/05/07

スイレン

スイレン7-6
の花が咲いてました。川口さんの田んぼの一角にスイレンが植えられています。少し遊びも必要なのでしょう。ミカンの花も咲いていました。ミカンの花と言いますと”みかんの花咲く丘 ”が思い出されます。
2018/05/06

天理

妙なる畑5-6
から山辺の道を通って、妙なる畑の見学会に参加してきました。川口さんの元気なお姿を見ていますと、こちらも気合いを入れなければという気にはなります。
 睡蓮やレンコンの場所にゆとりを感じさせられます。また、かつての見学地が巻向遺跡として整備されていました。
2018/05/05

青空

御陵センダン5-5
が広がっています。センダンの花が咲いていました。